Typhoon Love

Poetry is nine years old

天使の性器

ツイッター見てたらこういったブログを拝見しました。

 
とても良い記事でしたので紹介するとともにこれは自分にも大いに関係あることで、さらに自分でもここ数年考えていた問題でもありました。
 
去年結婚し、実家を離れ二人暮らしが始まってから、やはりベースを触る時間というのは明らかに減りました。
しかしこれについては予想通りで、仕方のないこととして受け入れるしかないと思いますし、それだけが原因ではないんですよね。私のようなタイプにとってはバンド活動が停滞して披露の機会が減ればモチベーションの維持も簡単ではなくなりますし。
 
これから子どもが生まれたりすると当然そちらが最優先になりますから、さらに活動は縮小していくことは間違いありません。
それでもきっと子どもができれば溺愛するだろうなーと自分でも思うので、そういう意味での心配はあんまりしてませんが。
 
ただ、そんなふうに音楽活動を諦めていっている現在の状況に寂しさを覚えていることは確かです。
 
私は大学で音楽サークルに入っていましたが、大学時代に組んだオリジナルバンドというのはほとんどが卒業とともに解散してしまいます。結構いい線までいっててもです。
(スカトロ☆グーニーズも大学時代に組んだバンドですが、メンバーがたまたま活動可能な範囲に住んでいるため存続しているわけです)
私は前から、そういう卒業とともに解散するバンドに対して、解散でなく活休にするとか、わざわざ解散と銘打たずにおけばまたいつか集まった時に復活できるんちゃう?とか言っていました。
でも最近は彼らの気持ちもよくわかるようになりました。過去に縋るくらいなら、みたいな感じなのかな。
 
そして私はそういった精力的なバンドマン以外の後輩たちにも、卒業していく後輩たちには、またいつか気が向いたら楽器をやってほしいなと、義務ややらなきゃいけない課題でもないし好きな時に思い出して手にとってくれるだけでいいという気持ちでいました。
 
逆に自分はずっと弾いていくのだと思い込んでいて、上のようなことを自分に当てはめて考えることをすっかり忘れていたわけで、いつの間にか義務になっていたのは自分のほうだったと気づいたような。
なまじ培ったものがあるせいでケチな私にはもったいなく感じてしまいますしね。
 
なんだかしみったれてしまいましたが、別に引退宣言とかそういうサムいやつでなく、人生においての趣味のポジションをどこに配置すると一番幸せか悩んでいるという話ですね。
 
自分の好きなようにガンガン活動しろよ、と言ってくださる方もいらっしゃるでしょうが、それで争いになるくらいならなるべく我慢したいのが私です。ものぐさなのも大きいんですけど。
 
こうして文にしたらなんとなくスッキリ。ここ数年音楽やめちゃおっかなと考えることも多かったのですがゆるく長く続けていけたらいいなあ。
 
そういえば旧型Q-tron売ろうかな。
欲しい人いませんかね。本体と電源アダプタのみですけど。ウリはQ-tronの音が出ることと見た目がカッコいいことです。ガリとかは無いですがフットスイッチが元から硬いです。