Typhoon Love

Poetry is nine years old

轍のない倖せ

朝から庄内の方へ行ってきました。

一昨年、去年と年一回羽黒山に登っていたので、今年も登ったろうやん、素敵やんということで羽黒山に行ったってワケ。

こないだ友人らと行ったときは天候に恵まれず、五重の塔までで断念という形だったので、今日はテッペン取ったラァ、と勇んで9時半くらいから登り始めた感じでござい。

 

ソロ登りだったのですが、すれ違うおっちゃんおばちゃんらが「こんにちは~」と挨拶してくれたので(そしてそれはほとんどの場合笑顔を伴って発せられたので)こちらもニコニコと挨拶を返すなどしてさほど孤独感も無く、程よい疲労感をややオーバーする疲労感で頂上まで行けました。

 

さて、今羽黒山では蜂子皇子(はちこのおうじ)の御尊像が140年ぶりに開扉されとりまして、私が今日登ったのもそれ目当てというのが大きいっちゅうわけや。

 

聞きかじりの貧弱な知識で適当に説明すると、

蜂子皇子というのは出羽三山(月山、湯殿山羽黒山)の開祖(開くっていうのは寺院とか社を建ててええ感じに整えるみたいな)で、たくさんの人のたくさんの悩みとかをええ感じにした人だそうですよ。聖徳太子のいとこだそうです。

 

んで、その御尊像は最初は五重塔(あんまり階段登らなくて良い地点)に置いてたんですけど、何ぶん偉い人ですから、蜂子皇子用の御殿作ったほうがいいんじゃね?ということになり、

宥俊(ゆうしゅん)という人が今ある山頂(ものすごく階段を登らなければならない地点)に開山堂(現 蜂子神社)を作ったと。調べてみたら1619年、400年くらい前にそうなったみたいです。

 

それで祀られてたわけなんですが、明治3年に神仏分離令が出たときに、羽黒山は神の山って分けられちゃったのですね。

そこで問題になったのは蜂子皇子の御尊像が僧の姿だったってことで、当然置いておけなくなっちゃうんですけど、皆が何とかならんかなあと頑張った結果、とにかくお堂の奥にしまっとこ、となって今まで仕舞われてたということなのでした。

これが明治7年、1874年のことですから、すなわちその時から今年まで一回も扉は開かれて無かったのが、今年開かれたという激レアイベントなのです。

 

来月いっぱいまでの開扉だそうで、それ以降は開扉の予定は一切ないそうなので、興味がある方は是非どうぞ。できれば階段を上っていくべし。

 

巫女さんがいたので良かった。おみくじは吉でした。

 

 

スカトロ☆グーニーズのギターであったりボカロPであったりするsymnyが新しくバンドを始めたみたいです。

http://kokoniiru.aikotoba.jp/index.html

私のブログを読むような(しかもこの長ったらしくつまらない記事の後半まで読むような)人の琴線に触れるかは分かりませんが、たぶんちゃんとカッコいいと思うので興味のある人は聴いたり観たりしてみるといいんじゃないでしょうか。

 


「涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない」 ムーンライダーズmoonriders - YouTube